静 内 川 |
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静内川右岸緑地公園・左岸緑地公園・シベチャリの橋(歩道橋)については上ボタン「公園・キャンプ」をクリックしてご覧ください。 |
![]() | 静内川 2級河川 旧名 染退(シベチャリ)。昭和25年に名称を変更した。 シベチャリについて 静内の地名としては最も古くから記録されています。 静内川河口一帯の地名としても明治初年まで用いられていた。 表記は「渋チャリ・しふちゃり・しぶちゃり・しびちゃり・渋茶利・染退」など 由来はアイヌ語の ●シベ・イチャニ[鮭の・産卵所(卵を置くところ)] ●シベツ・チャリ[大川(本流)・散らばる] ●シブチャリベツ[鮭の・晒(産卵後の白くなる形)] ●シビチャリ[葭(あし)の・草原] などの諸説がある。 |
![]() | 静内川治水記念碑 |
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碑文 母なる「静内川」は、悠久の歴史を秘めて滔々と静内の大地を今日も流れている。明治以来、原始の大地を切り拓いてきた先人達は、遠く日高山脈の主峰ペテカリ岳などに、源を発しているこの静内川の恵みに浴してきた。 「静内川」は、曾て染退川(シベチャリガワ)と称され開拓当初から上流の農屋、御園地区では洪水によりしばしば田畑が流失するなど被害を被ってきた。戦後は、奥地開拓が進み、昭和24年には御園地区の住家などが流され、祖父の地を失う甚大な被害を受けた。住民は、労力奉仕により防護堤を築き、私財を持ち寄って仮橋を架けるなど、たび重なる自然の猛威は防ぎ難く、これが対策のためには、国費導入による築堤工事の必要を訴え奔走した。 昭和26年には、静内川治水促進期成会を結成し、会長に貝田信二町長、副会長に米子岩松氏が選出され、全町挙げての室蘭土木現業所や、北海道開発局への陳情が功を奏し、昭和27年7月静内川改修工事が槌音高く着工されたのである。 しかし、昭和30年7月3日夜半から降り続いた豪雨は、奥高見で202ミリに達し、静内川流域の堤防が決壊したため、翌4日午前7時、遂に静内市街地全域に浸水、最高水位3.8メートルに達する未曾有の大水害となり、死者2名、重傷者7名、軽傷者16名の犠牲者を出したのは痛恨の極みである。 ここに、改修工事着工以来40年間の歳月と、約70億円の巨費を投じ静内川の改修が行われたのであり、関係機関の並々ならぬ尽力の賜ものである。 今、この静内川河畔に佇み、奥地のダム建設による洪水調整がなされ、氾濫を繰り返した川辺も今は、緑豊かなスポーツ公園となり、水面に浮かぶ白鳥の姿を眺望し、滔々とした清流の音を聞きながら先人達の苦労を偲び、ここに、静内川治水工事の記念碑を建立し、本事業関係者の功績を永遠に讚えるものである。 平成4年10月吉日 静内川治水記念碑建立期成会 |
![]() | ダム放流情報の掲示板 |
“静内川の上流にあるダム・発電所では、雪どけや雨で川の水が増えたり、電気をつくるときに、たくさんの水を流します。水を流すときには、サイレンやスピーカーで危険をお知らせしていますので、川で遊んでいる子どもや魚釣りをしている方、河原で仕事をしている方は、急いで川のそばを離れてください。” |
《問合せ》北海道電力(株)静内水力センター TEL 42ー0429 |
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静内川河口 右は太平洋 正面の建物がある辺りが入船町、堤防の所が静内漁港 |
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鉄橋(手前に見える赤い橋。青色の橋は静内橋) |
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静内橋 |
静内川河口付近にあった渡船場は寛政11年(1799)頃から丸木舟などを使って運行され重要な交通手段であった。明治15年平水時の川幅は約90メートル、洪水時では約130メートルで、渡賃は人12銭、馬20銭とされていた。 最初の橋は明治39年(1906)5月に完成。その後昭和10年3月、昭和47年12月(現在の静内橋)と架け替えられている。 |
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シベチャリの橋(歩道橋) |
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1月 |
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10月下旬 |